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『道化師』(どうけし、)、正式には『7人の道化師をだました道化師の物語』は、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)が1921年に上演したバレエ作品、またセルゲイ・プロコフィエフが同バレエのために作曲した音楽(作品21)およびこれにもとづく交響組曲(作品21bis)。プロコフィエフにとって、上演された最初のバレエ作品である。 == 成立の経緯 == 1915年3月、イタリアにいたバレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフに呼び出されたプロコフィエフは、バレエ音楽『アラとロリー』を聴かせたが「新鮮味にかける」という理由によって採用されなかった。プロコフィエフとディアギレフは、この時にイーゴリ・ストラヴィンスキーが持ってきていたアレクサンドル・アファナーシェフ〔ストラヴィンスキーの『狐』、『結婚』もアファナーシェフの民話に基づいている。〕の民話集の中から道化師に関する民話を2つ選び、これをもとにして6幕からなるバレエの筋書きを考えた〔田代薫訳『プロコフィエフ 自伝/評論』音楽之友社、2010年、57-58ページ〕。 ディアギレフから「純粋にロシア的な音楽を書いてほしい」と要望されたプロコフィエフはペトログラードに戻り、夏までに全ての音楽を完成させた。その頃、第一次世界大戦の激化により交通路の安全が確保されなくなったため、プロコフィエフはグリゴリーエフを通じてディアギレフに楽譜を送った〔『自伝』59-60ページ〕。しかし、その後5年間『道化師』は取り上げられず、プロコフィエフもロシア革命を避けてアメリカ合衆国に亡命した。 1920年4月、パリに来たプロコフィエフに対し、ディアギレフは『道化師』の書きなおしを要求した。プロコフィエフはこれに応え、全6幕をつなげて演奏するための5曲の間奏曲をあらたに作曲したほか、終幕の踊りの全面書きなおし、その他、オーケストレーションの変更などを行った〔『自伝』〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道化師 (バレエ)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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